No.16  葛藤とストレス(2) 

何が本当で何がうそであるか、または自分を守る真実の少しでも知っていれば、人は他人の言
うことによってそれほど傷つくこともないのである。

人は、他人の言うことによってどうして傷ついたり、ストレスになったりするのだろうか。
どうしてそのまま嫌なことを受け入れて、無意識のうちに認めてしまうのだろうか。

この世には、それほど真実を知っている者はいないのに。
つまらぬ、ネガティブな人間の言う事を、どうして真に受けるのであろうか。

そのような事自体、またそのようなことを平気で言う人自体、意識の低い人間だと思えないの
だろうか。

本来、人のことを言える人間でない者に、また本当は大して力の無いことに対して、どうして
簡単に受け入れたり認めたりするのだろうか。


結局その背景にある心の状態は、何が本当で何が間違っているかという根本的な基準とするも
のがないため、心はすぐに動揺状態に入るからである。

もし、今までの人生で知ってきたことが、何かを見極め判断するのに何も役に立たなければ、
いつまでたっても安心など得られないことになる。

これからの時代は、心が正しくしかも強くなければ思った以上に辛い人生になる可能性がある。

いろいろな人が、現実は幻とか無だとか、心配も悩みも本来は無いとか精神世界の本などに書
いていることを、自分なりにアレンジして言っている。

だから今が最高で、今を充実して生きなければならないとしている。

私は、このような意識を持って生きているが、だからといって他の人にいきなりこのような考
えで生きることは進められないのである。

なぜなら、何も理解しないで単純にそのような逃避に似た、自分なりに抱いた観念の中でうっ
とりして、いつまで生きられるというのだろうか。

今はまだ平和な状態だからいいが、そのような考えの人は、もし苦痛に満ちた人生であっても
その生き方を貫けるのだろうか。

私は、ネガティブを見つめろというのではないが、自分自身の意識を広くいろいろな条件で見
つめておかなければ、いつまでも本当の自分を知ることが出来ないと言いたいのである。

我々が生きる物質界が本来幻であるというのは、それを完全に理解した聖人レベルの人がいう
のであって、彼らは我々にそれを理解するようにと示唆してくれたものである。

我々は、この意味を理解しようと努力することで、真にいろいろなこの世の間違いまた正しい
ことを知ることにつながる。

その結果、我々は本当の判断が出来るようになるのである。

そうなれば、我々は今まで苦しんできたストレスや葛藤などにも徐々に強くなり、さらに意識
レベルも向上するということになる。

私が言いたい、現実という幻や本来無なる物というのは、このような理解によって得られると
いうことで、潜在意識を通して少しずつ理解してもらうために出している象徴的な言葉なので
ある。

決して単純に、何の根拠も無く観念的に言っていることではないのである。

我々の心が救われ、安心や自信を持てるようになるのは、このところをよく見つめ知ることか
ら始まるのである。


話を変えて少し具体的に、ポジティブとネガティブについて述べてみたい。
一般的に、ポジティブは良いこと、ネガティブは悪いこととなっている。

私は、今までいろいろなことを見つめ、この相対するものについてよく考えてきた。
このポジティブとネガティブの理解は、非常に大事なことである。

ポジティブといっている人は本当にポジティブ思考をしているのであろうか、疑問になること
は本当に多い。

ネガティブな状態で生きることは、その影響が体にも現れてくる。
体は、気づかないうちに不調になって行き、それが慢性的になると、いつかは大きな病気にな
ることも考えられる。

今は詳しく述べていられないが、これについても多くのことを言うことが出来る。

前向きで努力する姿は、誰が見てもポジティブな姿である。

ある目的の成就を目指して一心に努力する。
家族のためまた会社のために、自分の身を削ってまで仕事に打ち込む。
人のため世のために自分のことを置いてまで尽くす。
いつも人の気持ちを考えて、小さなことまで気を使っている。

その他にもこのようなことで努力している人は本当に多いのである。
誰が見ても悪いことなどひとつも無い。

しかし、本人の心の中はどうであろうか。
非常にあせっていたり、苦しかったり、また本当は辛い気持ちが強いかもしれない。

見える部分は、ポジティブであるが、隠れた心はネガティブである。
表向きに良いこと、美しいことがすべてポジティブとは限らない。

テレビなどで訃報を伝えている場面などを見たときがある。

「何であんな良い人が、がんで亡くなるのでしょう」「何も悪いこともしていないのに、神様
はどうして・・・」などと関係者は言っていた。

人間は表に出ているのは、仮の姿なのである。
本当の心は本人以外誰も知らない、また知る術も無いのである。

良い考え良いことをしているから、またすべてポジティブであるから、という理由で神に守ら
れているということにはならないのである。

正しくても間違っていても今ある心が真実であって、自分自身がその気になっていても無意識
は反発しているのである。

それは、自分自身の真の潜在意識である。

何人も殺してきた極悪な人間でも、病気もせずに長生きしている者もいるだろう。
だから、この極悪人がポジティブだということにもならない。

逆に、ちょっとしたミスや失敗を気にしすぎて病気になってしまう人もいるだろう。
意識レベルが高い人間ほど、自分を反省しまた悔いることも強い。

どちらにしてもカルマ的には、きっちりとその報いは受けるだろうが、正しい人間はもう少し
深く理解していけば、反対に強さを得られるのである。

反省の奥にあるのは、真実であり、真理である。

今述べたことがもし間違っているのであれば、人類また宇宙など存在する必要もないと私は思
っている。


この世に明るい未来を信じている人には、はっきりわからないかも知れないが明るい未来は自
分の内にしかないのである。

自分自身を知ることは、平和なときまた少しでも余裕のあるときにやっていたほうがいい。
病気や生活が苦しいときは、そんなことどころではないというのが現実であろう。

また、どうせ死んでしまえば何も分からなくなるから関係ないという人もいる。
そんな人は、生まれ変わったいつの日か、「どうして自分はいつもこうなんだろうか」と、思
うだろう。

それより、どうして生まれ変わった時代が、今と同じような平和だと思えるのが不思議である。

我々は、このようなことを追及しながら理解していくと、当然本当のことを見つめるようにな
るから、今まで自分を苦しめてきた葛藤や次々にやってくるストレスにも強くなっていけるの
である。

これからの時代は、心身の健康だけでなく人の言うことを見分ける能力も必要になっていくだ
ろう。

自分や家族を守るためとはいえ、いろいろなことを考えると疲れる時代になってきた。
間違ったものをそのまま受け入れていると、当然判断も狂ってしまう。

人の化けの皮をはがす前に、自分自身を知らないという化けの皮を剥がして自分自身を素直に
見ておくと、その分、意識的向上も早くなる。

ほとんどの人は、このような自分は見たがらない。
逆にふたをするのである。

そうするとその分、無智という未消化の部分が騒ぎ出し、混乱上の中にいつまでも葛藤しなけ
ればならない。

美しい言葉、真理の言葉、人に安易・簡単さをアピールする言葉は、悪魔でも使う。
その結果、今まで多くの人が苦しんできた。

「運命の分かれ道」と言う言葉がある。
いざという時、最終的判断をするのは、自分自身なのである。