プロフィール



氏名 : 金子 幸博   1951年生まれ  男性
 
ファイン・ヒーリング・スペースは、10年近く東京の東上野でヒーリングやセッションを行っていましたが、現在は札幌に移転しました。

私は、人間意識の研究や真理、霊的などの探究を始めてから30年過ぎました。
これまでの研究と自分の意識勉強の過程を、今そのすべて振り返って新たに私のプロフィールとしてまとめ更新しました。(2013/12)

私は、子供の頃から不思議体験と共に成長して来たといっても過言ではありません。
それは、普通なかなか触れられない世界で、不思議、神秘、霊的世界です。
この体験は現在も続いています。
その体験と人間意識の研究を基に、人間意識に関することは相当深いところまで説明し、たくさんの人の意識向上に力を注いでいます。

「人間意識のことなら何でも訊いて下さい。上級クラスでも大丈夫です」

宗教でも、神秘でも、最高レベルの話でも大丈夫です。
このようなことを言えるようになったのも、30年以上に渡ってたくさんのヒラメキやインスピレーションを受けて来たからです。
それも、精神世界系でも知らないような内容が多いのです。
それ以外にも、自分の魂や霊的世界の方からの援助によって、非常に深いレベルの智恵を得ることができました。

心理学、哲学、精神世界、宗教なども理解しやすくするために、私が研究して来たすべてのことを活用しています。

人間意識のことですから、悩みや病気の相談にもいろいろとアドバイスをしたり、ヒーリングなども行っています。

いま私が力を入れているのは、「波動振動測定」と「アカシックレコードリーディング」です。
一般的に知られている波動という言葉にしても、その意味やレベルも違うものです。
また、人間意識の基本的分類の仕方としてポジティブネガティブの分け方もありますので、ぜひこれも理解して自分に役立ててもらいたいと思います。

私の人間意識の研究や真理の探究は、今はかなりの段階まで進みました。
このような意識に達したことで、はじめてこれまでの30年間をしっかりまとめることが出来るようになりました。
各セッションでは、それを意識の理解として分かりやすく説明しています。
この内容は、私がここまで誰にも相談せずに一人でやって来たものをまとめたものです。
すべて、実際に自分の体験を通して得たもの、エッセンス的なものです。

私の人生の目的は、この勉強を始めた時から霊的意識(魂)との一体化です。
30年以上、これにすべて(命)をかけてやって来たのです。
精神世界や宗教といったものの研究も終わり、現在は霊界意識との同調に向けて、ただ一つの光との一体化だけを目指しています。

私が始めから目標にして来たことは、今も継続中です。
それは「知る」ということです。
苦しみの原因は「知らないから苦しむ」ということになります。
私の人生のもう一つの目的は、自分のすべての無知を「わかった!」に変えることです。
今は、霊的世界を「わかった!」にしたいだけです。
伝えたいことはたくさんあります。

人間はすべて意識から始まります。
意識を知ることは、何をするにしてもスムーズに行く土台創りになります。
これまで私が書いて来た読みものから、この人間意識を少しでも多く知ってあなたの人生に役立ててもらえばうれしく思います。

私の研究と探究の内容を書いて来た読み物は、ブログ「ポジティブ意識の智恵」やサイト「第三の目の世界」「無限振動の世界」などをご覧ください。
ヒーリングや意識の気づきや成長などのセッション、またその他各相談などは、このサイト「生命のヒーリング」で行っています。




おおまかですが、私が探究して来た意識の道です。(長文です) 


  【私が探究してきた意識の道】

人生において、こんなことを知りたい、こんなこと出来たらいいなぁ、ああなれたらなぁ、と思うことは誰にもあると思います。

それが出来るかどうかはともかく、単なる夢でも、憧れでも、理想でも、それが心にあるかどうかで、自分の未来に明るさを持ち続けられると思います。

今はどうであれ、一人一人の未来、人間の未来に何が起こるか、いきなりどう変わっていくかは誰も分かりません。

しかし、何もしないで、都合よく勝手に何かが大きく変わることには当然期待は持てません。
「それくらいのことは、誰でもわかっているよ」と言われそうですが・・・。

運命的な要素として、前世的なこと、それは善いことも悪いことも公平にその報いを受けるということですが、そんなことより、やはり何に対しても努力することが必要です。

今言ったことは、私自身にもそのまま当てはまります。
私には、自分の人生を賭けて努力したことがあります。

これは決して大げさな言い方ではありません。
それは、本当に真剣にやらなくては出来ないことだったということは、私のブログなどを読んでいただければわかってもらえると思います。

これから書いていくことはその一部になりますが、今までの人生ですので、大まかに書いても長文になります。

人間の意識に関することです。
何かしら、あなたの役に立てればと願っています。
冒頭で、「知りたい、できたらいいなぁ、なれたらなぁ~」という気持ちは誰にでもあるだろうと書きました。

しかし、私の場合はそれ以上に、「どうしてもやらなければならない」という、本当に自分の内側から突き
動かされるような強い衝動以上のものがあったのです。

結論から言いますと、その「自分の人生で、どうしてもやらなければならない」といった大願は成就しました。

その目的として目指したことは、「人間の生命の神秘と人間意識の解明、そして見ることも知ることも出来ない神の本質、もちろん未知なる世界の理解も含め、これらのことを誰かの言葉でなく、完全に理解納得できる自分の意識そのものにする」、といったことでした。

難しい感じがするかもしれませんが、もっと簡単に言うと、「自分を悩ませる内から来るあらゆる思いからの解脱」ということです。

それは、「この世のネガティブ意識の全理解とその影響から超然としていられる自分になる」、ということを目指すことでした。

これらの目的は大体成就しましたが、それはこの世的な部分においてです。
私の求める世界は、まだまだ深く永遠に拡大していますが、まずこの世のことだけでも満足出来るくらいに理解出来たことは、その後の自分の内面は随分楽になりました。

こうなるために、長い間いろいろな意識的訓練をして来ましたが、その訓練はいつの間にか潜在能力を引き出す力にもなっていたのです。

とりあえず、自分の子供の頃から現在まで、これまでの意識の変化や成長の方法など大きくまとめてみます。

そのあとで、いろいろと自分なりに考えていることを述べてみたいと思います。


私のこれまでの意識的人生です。


私が、最初に人間の生命を強烈に意識したのは、小学3年になったばかりの時でした。

自分の部屋で何となく静かにして何かを思っていたら、ふと「大きくなったら何になる」ということが頭に
浮かんで来ました。

これが私自身の人生の始まりで、今の自分のきっかけです。
でもこんなことは、子供の頃なら誰でも考えることです。

このとき、自分に何か特別な思いがあったのかというと、それは何もなくごく普通でいつもの自分でした。

また、将来何になりたいなんて考えたのはこのときが初めてで、それが浮かんで来たときは、自分の未来ということもあって何か未来のことを一生懸命考えていました。

自分の未来?・・・、よく考えて出て来た答えは「どうせなら大きい会社の社長になりたい」でした。

今書いていることは小3の時のことですが、私にとって内容が強烈なことでしたから、結構はっきり覚えているのです。

そのとき、頭の中か自分の内からかは分かりませんが、それを否定する言葉が出てきたのです。

「どうせなら大きい会社の社長になりたい」と自分で言っておきながら、その後に、「だめだ」という答えを自分で出していました。

実際、今になって考えると、その答えも自分で出したのかは疑問ですが。
出てきた言葉は、少しもためらうような言葉ではなく、はっきり「だめだ」という言葉です。

私はすぐその上のことを考えました。
「じゃ、それよりすごい総理大臣になろう」

いま思うと、子供の発想そのものです。
そうすると、また「だめだ」と自分で答えを出しているのです。

「総理大臣がだめなら、アメリカ大統領、いやそれ以上の地球を支配したら」
その答えは、また「だめだ」と出てくるのです。

「じゃ、何があるんだ」、私はそれ以上のことを考えていました。
「そうか、これ以上ないもの、じゃ~宇宙を支配してはどうだ」

完全に狂っている、まともでない。
しかし、そう思うしかないように追い詰められていく感じだったのです。

でもどうして自分ひとりなのに、自分自身を追い詰めるように持って行くのかです。
何かがちょっと違うという感じですが、この時は本当に自然に受け答えをしていたのです。

始めに「だめだ」と答えが出しているところから、「自分で考えているようで、何か別なものが自分に作用していたかもしれない」と、気づいたのは大人になってからです。

このあとに続く内容からしても、やはり何かが普通でないのです。
しかし、そのときは自分なりに真剣に考え、答えを出していたのです。

「そうか、これ以上ないもの、じゃ~宇宙を支配してはどうだ」
結局、その答えも、「だめだ」だったのです。

「えぇ~」もう何も考えられない状態。「・・・何で~」 しばらくぼぉーとしていました。
そのあとに言葉が来ました。

それは「死ぬから」という言葉だったのです。
人が何かの仕事について人生をまっとうして死んでいく、くらいは子供の自分でも知っていました。

もうそれ以上、何も考えることが出来なくなって、ただ、ぼぉーとしていると、ふと「宇宙に出よう」という思いが出て来たのです。

その頃、自分の中に宇宙に興味があったかどうかあまり記憶にないのですが、何故か宇宙に出ようでした。

地球からどんどん離れ、地球が野球ボールくらいに見えるところにいました。
その位置から、私は地球を見ていました。

一体これはどういうことなのか。
瞑想している訳でも目をつぶってイメージしているわけでもないのです。


少しテンポを上げて進めてみます。

宇宙のどの位置にいるかは分からない。
地球を見ていると、なぜか日本の位置に自分の命である光を灯してみようと思った。

そして、1日1回転、地球がぐるぐる回るのを見ながら、自分の命の光を見ていた。
その回転を、どんどん早くして,5年、10年、20年、・・・もっと早く回しながら自分の命の光を確認していた。

しかし、ある時点でその光がいきなり消えた。
何年後かは分からないが自分の命が消えた。

地球上の自分の命が消えた瞬間を見た。
それでも地球は回っている。

自分の命がこの宇宙から消え去っても、宇宙は何も変わることなく存在する。
何万年、何十万年、私は地球を高速に回転させて、自分の命が二度と地球上に光輝くことがないことを知った。

自分のいない地球を、今宇宙から見ている自分がいる。
そして、それでも自分のいない宇宙は、自分のことなど無にすぎない、初めから無かったように永遠に存在していく。

何かが分からなくなってきた。
そのうち異常な恐怖感が出てきた。

ハッとして、私は自分に戻った。
そしてこのことはしばらく考えないようにした。

それから、何ヶ月か経って気持ちが少し安定した時に、もう一度同じように宇宙から地球をみて、自分の命の光を灯して確認してみた。

結果は、同じだった。
どうすることもできない、それ以上前に進めない、また何も知ることも出来ない自分がいるだけだった。

このショック、恐怖感は、自分にとっては相当強力なものだった。
それは、意識どころか自分のすべてに、どうすることも出来ない印象として刻み込まれた感じがした。

また、この恐怖は耐えられなかった。
このとき、二度とこのようなことを考えないように自分の中で封印した。

その印象はかなり強くしばらく苦しかったが、それ以来、その場面だけは二度と思い浮かべることはなかった。

こんな感じの体験というか思いというか、自分の前世的なものがこのとき出て来たのかも知れません。

それからの私は、特に何もなく普通過ごしていったのですが、それでも何か自分の中で物足りない気持ちはいつも感じていたのです。

私はいつの間にか、「知りたいことがあるのに分からない」、そして「知らない、分からない」ということの苦しい思いが、自分が人よりかなり劣っているという思いに変わっていました。

そのような心は表には出さないが、それを知られるのを異常に警戒するようになったのです。

いま考えると、精神が違う状態、それこそいつの間にか、あの恐怖で自分を変えてしまっていたのです。

これは小学生の頃からですから、いつも心では爆発寸前状態ということも多かったわけです。

よく「キレる子供」のことが問題になりますが、私も、悪いことはしなかったがぎりぎりのところでした。
そのような子供たちの精神も何か分かる気もします。

このような思いは、20代になってからも自分の中で、「知らないから苦しむんだ」と、だんだん強く思うようになっていました。

もし、これが解決しなければ、一生この苦しみから逃れられなかったと思っています。

学校はまじめに行っていましたが、本当は学校に行くことが大嫌いだったのです。
勉強は嫌いではなかったのですが、いつも「何で、みんなと同じようなことをしなければならないのか」
という疑問と不満でいっぱいだったのです。

ときどきテレビを見ている時、よくあの時にとか、学生時代に戻りたいと話す場面が出て来ることがありますが、私はその言葉を聞くと強い束縛感を感じたものです。

10代の意識は、このような感じで過ごしてきました。
不思議な体験も小学生の頃からありましたが、それ以外では特に大きな変化はありません。

ただ、宇宙へ出る感じは、不思議な体験を呼んだり自分でもセッションなどに活用したりしています。

その振動で誘導すると、何か不思議な感じがするのです。
人生を変えるような最初の大きな変化は、30才の頃に来ました。
しかし、20代にも別な意味で、その後を左右するようなきっかけがありました。

それは、22,3才頃から不思議な体験の数や種類がいきなり多くなって行ったことです。

潜裡眼・No.6 潜在意識開発(1)

21才くらいのある日、新聞の下段にある本の広告を見ていたら、その広告に異常に反応する自分がいました。

それは、中国思想の「荘子」の本の広告だったのですが、その簡単な解説文が私の内側から普通でない反応を感じていたのです。

いつも、自分の内からの反応が自分の判断基準になることが多かったのですが、それは魂の自分に対する語りかけとして、すっとこれまで助けられているのです。

今でも、「荘子」は私にとって心地いい内容です。
この本のある箇所を読んだことで、私に大きな変化が起こりました。

小学生の頃から、たまに体験していた不思議体験の数が、その箇所に意識が止まって以来いきなり多くなって行ったのです。

それは、数だけでなく種類も、そして第六感的なことまで合わせると、普通の数の体験ではないのです。

20代の頃の不思議な体験は、不思議だけれど自分にとっては生活の一部といった感じになっていたくらいです。

この不思議体験は、これまでずっと、そして今も続いているのです。
それから,大転機の30才を迎えますが、この数ヶ月前にも自分の大転機を示唆するような不思議な夢を見ています。

私の見る夢は、普通の夢と正夢や予知夢的といわれるもの、また別次元でその世界にいる夢などです。

それを見分けるのは、単なる夢、現実とほとんど変わらない夢、そしてそれ以上にすべてが鮮明な夢といった感じで、その夢の重要性を判断します。

そのとき見た示唆的な夢は、私が霊的な世界の中にいて、たくさんの人たちの自由な存在状態を見ていました。

それから見渡す限りの広いところに出て、はっきりその世界の感じを意識していました。
その世界の感じは、今でもはっきりと思い出せるくらい、本当にそこにいたとしか思えません。

もちろん、自分の意識がです。
そのところの感じは省略して、ずぅーとまわりを見渡していると、自分の前方に大きな岩の塊が山になっているところで目が留まりました。
なんとなくそこが気になりました。

周りの景色は遠くまですべて見渡せるのですが、その岩の塊で山になっているところだけ、その先の向こうが見えなかったのです。

そのところをじっと見つめていると、いきなりその岩の山が真ん中から崩れ始めたのです。

それもモーゼの十戒の海が割れるように、山が二つに割れるように崩れていったのです。

すると、岩で隠れて見えなった向こう側が見えはじめました。
そこにはずっと遠くまで一本の道が伸びていたのです。
パノラマ的にすべてを見渡せる非常に広いところでしたが、道はそれ一本だけです。

そのとき、天から声が聞こえたのです。
「道は開かれた」 私は、それで目が覚めました。

それはかなりはっきりした映像でした。
自分にとっても初めてのすごい夢だったので、この先何が起こるのかと、ちょっと気持ちが高まりました。

私の見る夢で、それこそはっきりした夢であればそれが実現するという正夢になりますから、このような夢には結構期待感も強くなるのです。

このときはこの意味が何であるか分からなかったのですが、今の自分を考えれば、なるほどこの夢は正夢だったと、はっきり理解できるのです。

このときから私は、自分の前世から無意識に引き継がれた自分の目的成就への道に入って行ったのです。

この後の自分の人生を振り返ってみると、何か誘導されている人生の始まりといった感じです。
ずっと前から不思議なことには当然興味がありましたので、20代の頃は、時々「ムー」という雑誌を読んでいました。

この頃の私は、まだ精神世界の本などが、あることすら知りませんでした。
この夢を見てから、久しぶりでこの雑誌を買いました。

特集の中で2つ気になる言葉があって、それに対しても内なる反応が強く出てきました。
一つは、「宇宙の意識と交信できる」。

もう一つは、「弱りきった体にエネルギーを入れて、1時間くらいで元の元気さに戻せる」、といったことです。

小3の頃、自分が封印した人間生命の謎の答えを知りたいというのは、無意識レベルで自分の人生の一番の望みでした。

そのとき、「宇宙の意識と交信できる」、これができればその答えが得らるかもしれないと思いました。

宇宙の意識、このとき私がすぐに思ったのは、人が拝む神でも、チャネリングで高級宇宙生物と交信するといったことでもなく、無意識の中で、もっと奥深くにあって、すべてを創った神、想像不可能な創造神というふうに漠然と思っていました。

「チャネリング」は、このときはその名も知らなくて、今もまったく興味がありません。
私には、内から語りかけてくれるものがあるとずっと信じていました。

「チャネリング」的なものに興味が向かなかったのも、今ではそれも自分の魂の援助としてありがたく思っています。

その「宇宙の意識と交信できる」ということが何であるか知りたくて、早速、大きな書店に行きました。
そのような本を置いてあるところを見つけると、そこは精神世界のコーナーでした。

そのときは、こんなにいろいろな本があるとびっくりしました。
その本を手にとって見ていると、何か、自分の中で何とかなるといったことを、そのとき感じたのです。

いろいろ手に取りながら、自分にあった本を見つけていました。
それ以後、自分の求めていることに関係のある本を何冊か読んでみました。

しかし、内容が難しくまったく意味が分からないという感じでした。
それでも、たくさんの真理の言葉に触れて、私の内なる意識が今までにない特別な反応をしているのを感じました。

私は、この勉強を一生やっていこう、これ以外自分の求めることに答えを探せるものは無いと感じたからです。

こう決心できたのは、興味があるから、面白そうだから、能力開発になるから、また自分のためになるから、というような思いではなく、ここに書かれある真理の言葉は自分の意識そのものだと思ったからです。

これはどういうことか。
たとえば記憶喪失で考えると、誰も記憶喪失になったことはないと思いますが、仮に、今、あなたが記憶喪失状態で自分を探している時、思い出そうとしている時、何かの言葉に触れたとします。

その言葉がとても気になったり、なぜか懐かしい気持ちになったりしたときはどうなるでしょうか。

必ずその言葉から自分の記憶をたどるように、何かを探っていこうと考えるはずです。

私自身が感じたのは、このような感じだったのです。
本当の自分を思い出す、そこに達すれば自分だけでなくまわりのことも思い出せる。
こんな気持ちだったのです。

当然、この方向に向かって行こうと思っただけでなく、何故かそれなりの覚悟を決めることも考えていました。

初めてこのような本に出会ったばかりで、どのように勉強していいか、何をすればいいか、方向性はどう決めたらいいか、まだ何も分からない状態です。

「ヒントもない、誰にも聞くこともできない。しかし、進まなければならない。子供の頃に封印した答えを、どうしても完全に自分の中で知らなければならない」ようやくそのチャンスがやってきたと強く感じたのです。

「何が何でも、自分の生きている間にこの答えを探す」
「この人生で、どうしてもやらなければならないこと」、これが、私の決断でした。

自分の封印した疑問に対しても、子供の頃から、どういうわけか誰かに聞こうとする気持ちはなかったのです。

自分の思い、意識のことだから、これから先も自分一人で進めなければならないと思っていました。

何もかも分からないが、とりあえず進まなければならないといった、内から強く動かされる感じでした。

30才、これから社会的にも自分の人生の計画をしっかり固めていかなければならない頃です。

しかし、私は決断したのです。

「この世的な自分の人生は捨てる。出世も安定も捨てる。最高意識レベルの探究に、この目的に自分のすべてを賭ける。当然、誰にも聞かずに自分一人でやる。
今は、どの方向に進んでいいか何も分からないが、きっと自分の魂が導いてくれる。それにすべてを任せ、自分のできる限りのことをとことんやって行こう。
もし、失敗すれば、それも年を取ってから失敗すれば、すべて終わり。
何もない自分は、生きている意味さえない。また、そうなることを怖がって自分の求めることもしなければ、その人生も生きている意味なし。どちらも、死んだ、仮に生きているというだけの人生」これが、このとき、私が覚悟したことです。

このように決断したのは、この勉強はそんなに簡単なことではないと、何となくですがそう感じていたからです。

もちろん、生活のため仕事もしなければなりませんから、時間の余裕もありません。
しかし、実際は想像していたよりハードでした。

私は、人生が無くなるより、自分の肉体の死より、何も知らずにこの世から消えることが一番いやだったのです。

小学3年のとき封印した印象が、かなり強かったこともありますが、不思議な体験によって意識だけの自分がはっきり存在することも分かっていたので真剣になれたと思っています。

しかし、覚悟したといえ、今振り返ってみると自分ながらよくやってきたと思っています。

やはり、この世と全体意識のバランスを保つことは、気を抜けないということもありいろいろと大変でした。
その答えを知るための人生が始まりました。

それから10年の間は、ただ勉強と意識的な訓練、そして瞑想やヒーリングの訓練、潜在意識の研究、人間の意識に関係することは根本から勉強するようにしました。

その他、ヒーリングのために分厚い解剖書や医学書を買って何年か肉体のことも研究しました。

瞑想は、自分流。
最初は、敏感な方なので目を閉じることさえ怖かった人間です。

ヒーリングは、これも自分流。
しかし、今はほとんどの人ができない方法でヒーリングが出来るようになりました。

意識的な訓練は、最初はイメージから始めていろいろな集中方法を訓練して行きました。

自分のやっていることは正しいのか、それとも間違った方向に行っていないか、すべて自分で判断しなければならないのです。

それを冷静に判断するためには、意識的に本当にたくさんのことをやって行かなければならないのです。

本当にたくさんの意識的訓練をしました。
たくさんやらなければ何が本当か、間違いかが自分に説明できないのです。

おかげで、人が躓き、壁にぶつかるだろうと思われる意識的なことは、ほとんど通って来たと思っています。

それらのすべては、今の心の療法にも十分役立っています。
また、この間にも、たくさんの不思議な体験もしています。

ヒーリングでは、不思議な治りかたが30代後半から毎年経験するようになり、「気」ではなく、その未知なる「病気を治す力」があることに気づくこともできました。

そして、それから「病気を治す力」の研究に10年以上かけましたが、それも全くヒントもないその力がなんであるかも分からない状態で追い求めたのです。

この一番苦しかったこの「病気を治す力」の研究は、あとあと、さらに人生の大転機を迎えるための準備だったのです。

いつも、何のヒントもない、方向のはっきり見えない、そんな目標を追い求めてやって来たのです。

人生の大目的は掲げていましたが、その目的自体は死んでも無理だと思うことを到達目標にしていました。

そうすれば、目標が見えなくなって迷うということが一切起きないからです。

一段、一段、成長を重ねながら目的成就を目指して来たのですが、一段成長すればそれだけ目標に近づくのですが、しかし、自分の求めることが実現しない限りはその大きな目標からみれば失敗なんです。

いつも、その失敗だけが次に向かう原動力になっていましたが、結構失敗の連続意識の中で進んでいくのも精神的に厳しいものです。

次へ、次へと、自分を追い立てる。
たえず、前進あるのみで、たくさんのことをこなして行かなければ逆に苦しくなると行った連続でした。

睡眠時間を削り、自分の好きなことも押さえ、一日中、仕事の合間でさえ、そのことを考える。
朝から寝るまで、このような感じで20年以上やって来ました。

焦燥そしてうつ、こんな状態はしょっちゅうであり、そのうつ状態でさえ自分で監視しなければならないのです。
自分の精神が完全におかしくなっては、もう終わりとなるので、それさえも許されないのです。

私は、この目的を成就するまでは、あきらめることも、だめになることも、それ以外何であろうと、出来ないというような思いは、この20年間一切出したことがなかったのです。

そのような感じでがんばって来ましたが、今から5年くらい前、私は人生で一番大きな壁にぶつかったのです。

それは、30才の頃に覚悟した、もし失敗すれば・・・すべて終わり。
ということすら考えられないような大きな壁だったのです。

このとき始めて、もう終わりかという感じで、先は何もないどころかもう何も考えられない状態になったのです。

どうしてこのような状態になったのか、このときにぶつかった壁は、本当に為す術が無いとはこういうことかと思えるものでした。

ヒーリングで次の段階である「病気を治す力」を10年くらい研究していたのですが、それがどういうものかもつかめず、完全に前に進めなくなったのです。

単純にヒーリング能力だけの問題ではなく、ヒーリング能力を上げるために当然自分の意識レベルを上げることも同時に行なっていました。

意識レベルを上げることは、ヒーリング能力も上がる、これは私のヒーリングのレベルを上げてきた方法です。

意識レベルが上がり、それがヒーリング能力に反映するという証拠を得るためにも、この2つは同時進行で行なっていたのです。

意識レベルが上がらなければ、一番大事な自分の目的も叶えることが出来ないのです。
このとき考えたのは、意識レベルの伴わない「気」のパワーだけでヒーリングするくらいなら、この仕事はやめたほうがいいとまで思ったのです。

こう思った時期は、今の仕事を始めてまだ1年も経っていない頃です。
「それ以上の力も使えない、また自分の意識レベルを上げられない」

そのための訓練はすべてやってきたが、もう何も浮かばない状態で、完全に燃焼しきった感じになっていたのです。

「もう何もやることはない。もうこれ以上進みたくても、何もやることも考えることも出来ないから進めない」
こういうとき誰かに相談すれば、少し休んで落ち着いてから考えてみたら、と言うでしょう。私もうつ病の人にはそう言うこともあります。

しかし、何もない状態はこの時いきなりなったわけではなく、それは数年前から始まっていて、それでも小さい壁は何度も何度もあって、そのたびに乗り越えてきたのです。
前に進まなければならない、前に進みたい、しかし、何も考えることも思うことも出来なくなっていたのです。

そのくらい、自分で出来る意識的訓練はあらゆることをやってきたのです。
覚悟を決めた自分の目的のために、とことんやってきた結果です。

普通ならこんな場合、どうなってしまうのだろうかと考えてしまいます。
しかし、私は不思議なインスピレーションによって、また自分の魂に救われたのです。

「病気を治す力」の研究は、大きな壁にぶつかりました。
しかし、前にも言いましたが「この一番苦しかったこの力の研究は、あとあと、さらに人生の大転機を迎えるための準備だったのです。」ということだったのです。

それは、これまでの私の訓練とは違う、全く新しい方向へと向かわせる示唆だったのです。
自分自身も大きく変わるだけでなく、意識自体も大きく変わらざるを得なくなっていたのです。

いつも私は、自分の魂からの援助であるインスピレーションによって救われ、そして何かを教えてもらってきました。

このときのインスピレーションは、今までにない本当に意外なものでした。

全く新しい方向になるこれ以後の話は、超意識的な内容で、私が一気に自分の目的成就の道に入っていくことになります。

結構長い文になりました。

この後どのようにして私が魂(インスピレーション)によって救われたか、また意識の向上の道へどのようにして誘導されたかなどは、七光導の「魂との対話」に載せてあります。

七光導・No.8 魂との対話(1)

私が人間の潜在意識の構造や無意識を中心にたくさんのことを理解し、それを自分の意識そのものに出来たのは、この大きな壁にあたった後の2,3年の間です。

この壁にぶつかるまで私が訓練してきた意識的なことは、人間の心、意識、潜在意識の一部を知ることであり、その実験材料はほとんど自分自身を使うことだったのです。

自分という人間の潜在意識は、どんな人の潜在意識の構造とも根本的に変わらない、また人間の潜在意識構造はみな同じということを知り尽くすことは、次の段階だったのです。

大きな壁にぶつかり、もう何もやることがないという自分だったのが、そのきっかけを掴んでからは、全く別な意識で知らなかったことが次々と見えるようになったのです。

こうして、あっという間に自分の求めることがすべて分かっていったのです。
子供の頃に恐怖で封印した謎は完全に知ることができました。

それだけでなく、30才の頃に覚悟して進めてきた自分の願望である自己実現の目的も完全に成就できました。

この世に関して、自分が知りたいと思っていたことのすべてを知ったわけではありませんが、それでもこの世の限界が何であるかを、はっきり自分の意識の中で理解できたのです。

本当にどうなるか下手をすると自分を失いかねない道を歩んで来ましたが、いま自分のこれまでを振り返ってみると、心からそしてつくづくやってきて本当によかったと思っているのです。

自分の意識としては、この世に何も求めることも、逆にこの世から得たいと思うものも特にありません。

この世から何かを得るというより、インスピレーションによって自分の中から必要なものを得るようにしています。

もし、このインスピレーションが私に来なくなれば、生きている意味も無いということになります。

この深い意識での満たされた安心感やすべてとつながっていける「意識の通る道」を知った意識は、自分の肉体の命がなくなっても他の何ものにも変えられない唯一の自分自身なのです。

その先にある次元の理解の足がかりもでき、今はその方向に入って自由に動くことが自分の新しい目的です。

この世の心には、もう二度と苦しむことはないと思います。
また、二度と人間とは何であるか、また人の違いなどにも迷わせられることも考えることもありません。

私の中では、この世の問題は、違う次元の問題と見るようにしています。

人が救われる答えも道もあるのです。
ただ、それをどのくらい理解していくか、またできるか、その理解の出来る線がその人の答えとなるのです。

それが、その人の意識レベルです。
大雑把に自分の人生を振り返ってきました。

細かい内容まで書ければ、それ自体すべてが自己修行であり不思議体験であり、その実践と気づきになりますので、本当は相当な量になってしまいます。

この一部は、「潜裡眼」「七光導」「私の不思議体験」などにも載せてありますが、それでもまだいろいろと話すことはあるのです。

これまでの潜在意識研究と2,3年の間で得たインスピレーションによって、私自身気づいて見るとびっくりするような理解が潜在意識に入っていました。

それは、現在行なっている心の療法に関しても言えます。
もちろん誰かにその方法を教えてもらったことはありませんし、特に心理学を勉強したということもありません。

しかし、人の心や潜在意識に関することは、本当によく把握できるようになっていたのです。

潜在意識の構造とか潜在意識の位置などが、自分の無意識の中で自動的に分かってしまうのです。

もちろん、それはすべてポジティブ方向に向けるために、今となっては欠かすことの出来ない能力です。

心の療法は、本を読むだけでそれが潜在意識のどの部分に働きかけているか、どのような効果を引き出そうとしているかがすぐ分かります。

私が行なって来た心の療法も大体本を読んでから1,2ヶ月で作っています。
占星術の活用は、隠れた自分の潜在意識をもっと深く気づいてもらうために考えたものです。

これも初めは、占星術を普通の占いの形で勉強していたのですが、2ヶ月くらいで占いの方式では本当の深い意識の部分はよく分からないと気づき、すぐ独自の方法を考えていったのです。

この独自の占星術活用は、これからいろいろと研究を重ねていけば、占いの占星術ではなく、新たな心の問題解決の療法に出来ると考えています。
正直言って、占いは好きではありません。

ヒーリングに関しても、現在のヒーリング方法は20年間やってきた「気」や「パワー」を超えた方法ですから、当然「気」や「パワー」それにヒーリングについても十分に説明できます。

波動については、超ポジティブ意識方向のみを訓練して来たので、その反対であるネガティブ波動にはすぐ自分の無意識から自動的に反応します。

これまでの訓練は、波動測定まで可能にしてくれました。
その他、気づき,インスピレーション、第六感なども、どういうものがどうやったら得られるかということも自分の体験からいろいろな話が出来ます。

私の探究は、まだ終わったわけではありません。
これまで行なってきたことは、自分の自我に対する解脱が目的であって、これからはようやく自分の求める世界の探究を始めて行けるようになりました。

今後もいろいろな発見があれば、「七光導」の中で、その世界を広げて行きたいと考えています。

私の知っていることは、これから先自分の意識を高めようと考えている人には、参考になることも多いと思っています。

少しでも、その力になれば、また意識の向上に役立てればと考えています。
もう一つ、自分もそうでしたが、本当に心から思うことがあります。

人生悩んでいることが少しでも早く解決できれば、その分、自分の求めるところにその時間を使えるということです。

悩んでいる時間が多い人と、少ない人では、時間の有効活用が違ってきます。
時間があって、無駄遣いをしている人もいますが。

自分の人生は、いくらでもいい方向に持って行けるのですが、その方法を知らない人が多いのです。

そうして悩んでいる時間がもったいないということになります。

答えがあっても、それを受け入れてもらえないことも、時間がもったいないと感じます。
若い頃の私と同じように、この世にだまされていることに早く気づけば、と思います。

この世にだまされているとは、答えのない観念の中で生き、それが大多数の意見で正しいとされれば、それに従うということです。自分の中では、納得していなくても。

それで悩んでいることも多く、何が本当なのか、また根拠を持って正しいと言えるものはあるのか。

自分の考えでも、根拠を持って正しいと自信を持って言えることはいくつあるでしょうか。

人間の意識は本当に複雑で、一人一人違います。

その仕組みを少しでもしっかり理解することが、一生自分の力となって自分を支えてくれるのです。

人の未来は誰も分かりません。

絶対、あきらめずに、前向きに進んで行きましょう。

きっと、あなたの魂は、あなたの思いに応えてくれるでしょう。

自分の中にある、自分自身である、自分の魂だけは信じましょう。

(2010/10・加筆)