No.31  霊の中(1) 

肉体、神経、脳、心、意識、潜在意識、無意識、魂、霊(神)、これらが一つの体になり、そ
の現われが人間である。

そして、この中を自由に動くことのできるのは生命意識であり、それに近づくことが霊的(神
的)意識に触れる近道である。

人がすべての面ですばらしい自己世界を形成していくためには、内的意識や感覚などを高める
ことが早道で、その方法はいろいろある。

本来、人間意識の中心は潜在意識側におくべきであって、それに近い意識はいつでも新しく創
っていけるものである。

自分の潜在意識が何であるか知らない、また自分自身がどのようにできているか知らないとい
うのが、ほとんどの人間であろう。

潜在意識を知ることが完璧になるということではなく、それは真の自分、真の人間の正体を知
る基本点に立つということである。

そしてその方法は、この世の目的や仕事と並行して進めることによって最大の効果が得られる
ものと考えている。

人間は、この世だけに集中しても、また霊的なことだけに集中してもバランスを欠く存在とし
て創られている。

人間というものがどのようにして構成されているかを知れば、この意味も理解できるだろう。

また、これまでのようないまひとつはっきりしない霊的意識というものから、自分の意識その
ものの霊的意識に触れられる時代に入ってきた。

そのような人間意識の拡大は、これからは自分の心いうものを見えるものという感じで捉えら
れるようになるだろう。

これまでの「潜裡眼」は、心、意識、潜在意識などを中心に進めてきたが、そろそろ霊的なこ
とや霊的意識といったものも含めていく必要がでてきた。

そうすることによって、我々の心や意識はもっと拡大させることができるようになるからであ
る。

人間の心は、2千年前、1千年前、100年前そして現代に至るまでどんどん拡大してきてい
るが、現代においてはもっと早いスピードで拡大させることができるようになった。

知識、要するに心の世界、思考するだけでは真の答は得られない。

真の答とは、自分が心底から納得できる、またそれを新しい自分の意識として受け入れること
のできる、新しい自己形成のための意識ということである。

それは、今までの古い塊として自分の潜在意識にある固定観念を、自動的に「力のないもの」
にしてしまうことでもある。

それによって、自分を含めたこの世界にあるものが、何であるか、それをいつまでも知らない
ものとしてではなく、いつも霊的理解を基礎に全体的把握として受け止めていられる自分にな
っていけるのである。

また、その新自己形成の過程は、自分の心の問題や悩みなども自動的に解消させてしまうのは
当然とも言えることである。

意識の拡大とはこういうことである。

我々はあまりにも本当のこと、本質、真理など、今まで知って来た以上のすばらしいことを得
られなかったため、今が正しい、本当の世界だと信じ、執着させられている。

させられているとは、人類間における迷妄の中に存在する暗示的、催眠的な無意識の強制であ
る。

これから抜け出すためには、我々の潜在意識の中に、真の自分となる自分だけの空間である
「新自己の場」を、将来に向けて意識して創りあげていかなければならない。

古い意識など、どうにかしようなどとする必要は無い。またそんな時間も無いだろう。

ほとんどの人は過去の中に生き過ぎるのであって、過去はこれから自分がよくなるための研究
材料であって、真剣に自己の人生を大事にしたければ、少なくても過去の幻影によって苦しむ
ことのないようにしなければならないのである。

過去に生きるという言葉だけをとっても、この世に関することから輪廻転生、そして霊的覚醒
まで、その意味することは広いのである。


今回は「霊の中」というテーマで、私の霊的な不思議体験を述べ、それに関係する死後の世界
と霊界に関わる意識については次回説明したい。

霊的というと、ほとんどの人は心霊現象や、オカルト的なものを連想すると思うが、私が進め
たい内容は、あくまで人の意識に直結する霊的意識、魂意識、神意識であって、そのすべては
我々の生活や目的など人生に役立つものでなければ意味がないと思っている。

私は、すべてが人間の知恵になって、それ以外の自分や人に役立てられないものには全く興味
がないのである。

私は、今までにいろいろな種類の不思議な体験をしてきた。
それは現在も続いているのであるが、その一部は「私の不思議体験」で紹介している。

今回は、その中でも言葉では表現できない体験をできる限りその雰囲気が伝わるように述べて
みたい。

言葉では表現できないというのは、この世には近い感じのものがないからであり、それを伝え
るにしても個人的な受け取り方で全く違うものになってしまうからである。

私は、これらの研究材料を元に、人間の意識、潜在意識、霊性などを細かく分析して、人間の
意識構造として今の仕事や生き方そして自己の霊的成長にずっと活かして来ている。

それらすべての試み(実践)と結果的証拠は、20代の頃から始めたことを考えると、何百と
いう数になるだろうし、それらは次の段階のための土台になっていった。
そのすべては、意識として自己の内側、要するに潜在意識的に反応させてきたものである。

これらのことは、私ひとりの意識を考えて進めてきたものと、人間全般に適応できるまたはそ
の共通性を意識して研究したものとがあるが、やはり人間の意識はその個人的特性や個性をの
ぞけば、その根底である意識構造は一緒である。

もしその共通性がなければ、神の法則が全人類に平等にその意識を通して浸透できないことに
なる。

すべては、その法則の反映であることを理解することで、全く分からない無意識、霊的次元、
人間の未来なども霊的推測といった深い探り方をすることで、未知な部分もある程度分かって
くるのである。

推測といっても、単なる想像ではないことは分かってもらえると思うが、私はこの方法を使う
ことによって、未知の次元である無意識の段階まで自分の意識を発展させてきたのである。

そして、その通る意識の道や段階は言葉で指導することもできるが、あくまでその意識になる
ことはその人の理解に関わることである。


私は、これまでにたくさんの表現しにくい、または伝えにくい神秘的気づきや映像を無意識の
中で知りまた見てきた。

また、一瞬の霊的力の現われなども相当体験してきた。
この長年のいろいろな種類の体験は、私に波動、振動の感じを教えてくれた。

私はそれを知ることによって、意識の段階を言葉で少しでも分かりやすく表現できるようにな
ったのである。

この世的意識から宇宙的意識、そして無意識を含む霊的意識まで我々の生命意識を広げていく
ためには、その方向性を知っておくとその理解も早まるであろう。

私の不思議な体験の中には、意識的な本質に対する気づきや神秘的映像なども見せられたこと
がある。

見せてもらうという気持は、自分の魂に向けての感謝からである。
その中の一つに、自分の霊的未熟さと真の霊的意識というものを気づかされたことがあった。

それはまだ2年前くらいのことであるが。
これは映像というより、インスピレーション的で発想に関することであった。
この体験は、実に不思議な感じになった。

そのインスピレーション的発想が来た時、私はこんなことがあるのか、誰がこのようなことに
気づくであろうか、自分としても死ぬまで考えつきもしないだろう、この世のどこにこのよう
な発想をするものがいるのか、などと、とにかく信じられない発想という印象があった。

それについて何日か考えながら自分の意識を高めていた。
しかし、その後何ヶ月か過ぎたころ、何かのきっかけでそのことを思い出そうとした時、どう
したことかそれについての一切の記憶が無くなっていた。

今でも思い出せないというだけでなく、信じられないのである。
あれほど強烈な印象のあった気づきということは覚えていても、その内容が完全に消えてしま
っていることに自分自身驚いている。

このように、その一瞬の記憶だけがなくなったという不思議な体験を子供の時にも一度したこ
とがあったが、そのときも、この世ではありえない今でも信じられない一瞬にして不思議なこ
とが起こっていた。

私は、子供の頃から今まで、霊がこの世に顕現する時の見えない力の偉力を何度も体験してい
る。


他の見せられた映像で特殊なものといえば、本当にいろいろあるが、その中でも言葉はあるが
それがどうして映像になるのかというものである。

それは、生命力と永遠の愛である。
それを私は、大空間の中で見た。そして納得していた。

しかし、それをどう表現すればいいのか、逆にまるで表現能力のない自分だけが表現されてし
まう。

私はこの世において、どんな美しいものを見ても感動することはない。
こう言うと、なんと寂しい人だろうとか、また別な見方であれば、人格障害と思われるかもし
れない。

この美に対しても、私はあるとき意識の深みにおいて、大宇宙的パノラマの映像を見たことに
よる。

その美しさの規模は、はっきり言って全く表現することが不可能である。
そのとき私は、色が生きている、生命を持っている色を見ているようだった。

もちろんこの世ではそれに似たものはない。
それから離れた後も、私はしばらく大感動が持続していた。

このようなものを見た結果、この世にはそれを超える美しいものがあると思わなくなってしま
った。


次の内容は、潜理眼のNO7の中で私が誘導されているのではないかということで少し触れてい
る体験である。

それは霊の中である。
ここでは、話を進めやすいようにとりあえず霊界としておくが、その受けとり方は人それぞれ
自由である。

何故、霊界としなくてはならないかと言うと、死後の世界、我々が死んですぐに入る世界と分
けるためであり、それは、分かれていなければ神の秩序や法則が成り立たないからである。

私は、気が付いたらそこ(霊界)にいた。
そこには、結構多くの人がいたが、皆自由に自分の居場所を確保していた。

それは、地であったり空中であったり、そして皆同じような長い白い布のようなものをまとっ
ていた。

空中にいる人は、浮いているという感じはなく、そこにいる、まるで見えない地の上にいるよ
うであった。

私は、ずっと自分の周りから、そして遠くを見つめていた。
空や地の延長やその世界全体の色は、薄いオレンジ色であった。

私自身は、自分自身を意識できていたが、自分を支えるこの世における記憶的意識はなかった。
その意識で感じるまま、そして思考は、最後ここから離れる瞬間までなかった。

すべて見えるものは見えたまま、そのままの自分だけがいるといった感じで、意識的には何も
ない別な意識的自分といった感じであった。

これは、あとで説明する死後の世界との意識とは大きな違いになる。

呼吸していることやその世界の温度など、まるでそれに意識が向かないほどこの世的に言えば
自分の意識から肉体まで、すべてが完全に満たされているといった感じであった。

この満たされているという感じは、のちの自分の瞑想に大いに役立てることができた。
このあと、私自身に関する未来が啓示されたが、そのときはその意味は分からなかった。

ただ、私はこの世界に入ったことによって、この世界の感じ(振動)を知ることが出来た。
私は、自分の未知な体験をすべて意識的振動に置き換えて憶えているという習慣がついている。

そのときの感じから映像の部分をぬくと、その場の意識の振動として私の意識に残り、それを
いろいろことと接するときに、それを無意識に反応させるといろいろと分かることが多いので
ある。

このように、その多くの種類の振動は、いろいろなことを見極めたり、正体を知ったり、また
いろいろな意識研究にも大変役立っているのである。


次に述べることも霊界での体験であるが、これも不思議な感じであった。
私は、暗黒の大空間にいた。しかし浮いているという感じではなく、そこに自然にいるという
感じであった。

全く、何も見えない暗黒でありながら、その空間の無限的広がりは分かった。
また、全くの闇でありながら、恐怖を一切感じることもなく、この闇の色さえ私が知っている
闇の暗さや色とは違って感じていた。

その世界の感じは、闇自体が軽く非常に神秘的だった。
私は、見えもしない暗闇の中でもいろいろなものに気が付いていた。

私の前の方から一人、誰かが近づいてくるのを感じた。
まるで輪郭だけは見えるように捉えることが出来た。

これも意識的振動を利用して分かるといった具合に、ごく自然だった。
その人は、私の5,6メートル前で止まり、私のことを指定するように指して、ひとこと言った。

「おまえは、199○年に死ぬ」はっきりとした口調だった。
我に返ったとき、大ショックで何も考えられない時間だけが過ぎて行ったのを憶えている。

なぜなら、私の見る夢の中で、しかもはっきりとその意識状態まで働いている時は、必ず当た
ると思っていたからである。

もちろんこのような場合、かなりの高い確率で当たっていたから、そのように確信していたの
である。

しかし、今私はこうして生きているのであるが、この見た内容はただの夢に過ぎなかったとは
言うことは出来ないのである。

すべては、霊界の中、その次元である場の意識で支配されることを知ることによって、いろい
ろな謎が解けてきたのである。

この時点では、最後の年まで聞いていたのであるが、どういうわけか強烈なショックで忘れて
しまっていた。

どうも霊の中で知ることは、人間の記憶に入ると保持できないものや消えるものが多いようだ。
私は、この内容からもいろいろな分析や推測、そして法則を当てはめながら、ここに含まれて
いる秘密をすこしずつ理解していった。

そして、この体験からも霊界または霊的次元の意識の特性(法則)を知ることになり、それも
神の世界の一部として受け止めている。

これらのことは、そのときにすべて分かったのではなく、その後いろいろな深い次元的理解や
それらを関連させることによって、また真理に沿って引き出してきたものである。