No.24 自己探求 

神とは何か。人間とは何か。一体自分とは何なのか。

このうちのどれかひとつの理解が進めば、あとの疑問もその理解した分解消される。
この中でも、最も研究しやすいのは自分である。

自己を深く知っていく過程は、自己拡大そのものである。
それは、この世の限界意識を押しやることであり、霊性との同調であり、同時に神(魂)に近づ
く行為である。

我々はこの過程の中で、ある意識状態に移行していく瞬間に特殊な「感じ」を得られることがあ
る。

それは、自分が求めていることについてのヒントであったり、気づきであったり、さらには驚く
べきインスピレーションということもある。

このような自己の内なる「感じ」からもたらされる気づきの早さは、針先が皮膚に触れるそのチ
クッと感じるくらいの瞬間であり、そしてその一瞬で自分の求めている答え(ヒント)は既に自
分の意識に入っているのである。

この「感じ」が来ると、いきなり「わかった!」という言葉を心で叫んでしまうほどである。
この「感じ」というものが真の導きであり、自分が最も信頼できる自己の導き手となる。

内なる「感じ」というものは、すべてがこのようなものばかりではないが、その他にもいろいろ
な現われ方がある。

「気づき」「インスピレーション」以外にも、「なんとなく」から「直感」「第六感」まで広い
範囲で現われる。

また気になる夢も、何かの意味を含んでいるひとつの「感じ」の現れとして捉えることもできる。
我々が普段生活している中にも、何気なくこの「感じ」というものに触れていることが多い。

我々はこの「感じ」という意識を注意深くこころに留めることで、潜在意識を活用した全く新し
い自己意識を開発できるのである。


私は最近、このような内的に感じるいろいろな「感じ」を言い表すために、最も近く表現できる
言葉や方法を考えている。

それは、「感じ」を受けるための心のありかたや意識状態であり、また「感じ」そのものに近づ
くための過程を表現することである。

それはある「感じ」を一つの個性と考えた場合、その中にふくまれる印象的なことをわかりやす
くその感触を表現するようなものである。

この意識感覚に近づく行為は、まだ一般化されていない新しい意識反応でありそして限界のない
ものであるから、素直な意識状態を訓練すれば潜在意識と同調しやすいだろうと考えている。

私は、形姿はわからなくても「内なる感じ」に触れられることが、自己の魂とコンタクトしてい
ることだと信じている。

この方法は、我々の思考では分からないまたは答えやヒントの出ないことに関して、全く不思議
な意識的「感じ」から答えを得るということである。

しかし、その「感じ」から来る気づきや答えの内容のレベルはさまざまであり、その時の自己の
意識レベルを反映することが多い。

本当に知りたかったことや求めていた答えが一瞬で解った時は、感激を超える不思議さを感じる
だろう。

最高に高まれば、本などには書いていないようなヒントや気づきなども得られるようになる。
これに同調するのに頭の良し悪しは関係が無い、何故なら思考することではないからである。


10年以上も前になると思うが、私はある特殊な能力を持った子供たちのすることをテレビで見
た。

10人以上の子供(6、7才前後)たちが自分たちの見えない場所で書かれた文字を当てるとい
う内容だった。

文字の書かれた紙を小さくたたんで自分の耳に入れ、しばらくじっとしているとその書かれた文
字が浮かんでくるというものだった。

半数くらいの子供は、その書かれた文字を当てるかそれに近い字を言っていた。
これは真の透視ではなく、残留思念の映像化であって無意識的「感じ」を働かせる方法である。

ここに思考過程が入ると完全にこの行為は乱れてしまうのである。
子供は、まだ論理的に思考するということができないので、自然にこのようなことも高い確率で
可能になるのである。

しかし、この子供たちの勉強量が増しまたいろいろなことに興味を示していくにつれて、この能
力は失われるだろうと私は予測していた。

2年位前か、たまたまこのような子供たちのその後を特集する番組があって、その中のひとりの
子供(現在は青年)が出ていた。

その青年はまだ少しばかりその感性は残っていたが、他の人(その時の子供たち)はほとんどでき
ないと言っていた。

これはその能力を失ったのではなく、成長過程で生活や環境で受け入れた固定観念や思考が邪魔し
ているということである。

人間にあるいろいろな能力は、何ひとつ失われていないはずである。
では、我々は原始的自然にもどればすべての能力が目覚めるのかというと、そうにはならない。

知性が無いことは理性的に物事を進めることができない分、大きなマイナスになる。


我々にとって、今あるいろいろな知識は必要なものである。
しかし、人間の内面に至るための自己探求は、まだ本や思考に頼っているだけかもしれない。

何回も、なかなか前進できないとか限界を感じるという壁にあたるだろう。
瞑想はこの問題を軽減してくれるものであるが、やはりそのやり方が大きく左右するであろう。

ある瞑想の方法に合わせるのではなく、自分に合ったまたは求める内容にあった瞑想をしなけれ
ば何かの「感じ」に会うまでは時間がかかるだろう。

これからは、思考と無意識をどのように関連させ制御し、そしてそのバランスを活かせるように
する意識状態が必要となってくる。

思考を無理にやめても、無意識的に思考の影に付きまとわれれば何の意味も無い。
未来に向けて人の意識的進化を考えると、必ずこの意識状態に入っていくだろうと推測できるの
だが、今少しでも求める人のために何とかしたいと考えている。

体、脳、心、意識、潜在意識、無意識、神秘的、霊的な知識は、基本的に自己探求の基盤として
必要なことである。

しかし、知識だけでは必ず限界を感じるようになる。
知識を超えた何かに至るにはどうしたらいいか。

もう一段、二段上がることによってそこから新しい世界が広がる。
私は、この一段、二段上がるための新意識としての「気づき」へのきっかけは掴めると言える。

しかし、それは頭だけで理解できることではなく、実践を通じて確信していくものだと思ってい
る。

何故ならそれは、「意識である」からであり、「生きているものである」からである。
意識は、生き生きとした生命であり自由な動きであるが、知識は生命と動きがあまり感じられな
いものである。

実践と言っても、それは難行や苦行であってはならない。
あくまで生活や仕事を通してできるもの、要するに生きていること自体実践でなくては一般的
(普通)にはならないのである。

知識を実践によって自己の知恵と為す行為、すなわち自己変革から得られるものは計り知れない。


人は簡単にまた楽に出来ることを求めたがる。
学校を卒業し、それぞれいろいろな仕事に就き一人前になるために何年かかけて自分を高めてい
く。

その過程で技術やコツなどを意識的に自分のものとしていきながら自信をつけていく。
どんな職業であっても、高いレベルを目指せば当然努力が必要だ。

しかし、潜在意識的なことや神秘的なことになると、すぐ簡単にできる方法というものが出てく
る。

仕事は見えることだが意識的なことは見えるものではない。
それがどうして、すぐできるまたは簡単にできるということが信じられるのだろうか。

私からみればまだ見えることの方が、努力しだいでは何とかなりそうと予測がつけられる分気が
楽だ。

自分の意識に用意されるものがなくて、どのように自分を成長させるのか。
信じるだけでは何も起こらないのである。

大事な事は、理解することから前進していくのである。
我々は心の限界に直面しつつある。

今までのやり方では、大きく変わることはないのである。
また、目先の新しさも一時的なものに過ぎないのであり、いつもそれを繰り返すだけである。

いま、新しい方向を見つめる自己創造の意識が動き出そうとしている。
我々は、限界の無い永遠または自己の内なる潜在力の無限性に意識を向けなければ、人生は限定
の中で流されて行くだけとなる。

歴史を振り返っても、何故人はいつも苦しまなければいけないのかと感じる事ばかりである。
そう考えると、人間は何かが変わらない限りこの苦難からいつまでも抜け出せないということに
なる。

一生の間心身共に苦しむのであれば、本能だけで生きている動物になったほうがまだ幸せだった
ということになる。

神、魂とつながっている人間には、何かやらなければならない宿命的なことが潜んでいるのであ
ろう。


人は、自己の叫びを発する「知りたい、本当のことを知りたい」。
人の思いが究極に至れば、この願いはほとんどの人の本心ではなかろうか。

いつの間にか人は、この重要なことを求めなくなっている。
これは、どうにもならない無駄なことだとあきらめてしまったのか。

それともその方法に気づけないためか。
自分を知らないということは、本当の自分を出していないことに他ならない。

今何かのことで苦しみ悩んでいる人も、その姿は本当の自分ではないということだ。
この部分で身動きが取れないで悩んでいる人は多いし、またこれからもっと増えるだろう。

何故か、自分では気づかなくても、真の意識に目覚めてきている人が多いからである。
もう、うそやあいまいなどには嫌気がさしているということが無意識にあるからだ。

輪廻転生、人は時代を旅していくうちに無意識の中に成長し進化し続けている。
科学的進化は、自然を自由に制御できることを目指し、人間の進化は意識の本質を目指す。

どちらも理想を掲げその理想達成が目的である。
我々は神の創造の結果に存在しているのであって、そのどちらの進化も神に近づくことに過ぎな
い。

自分は神とつながり、その媒介をしてくれるのが自分という存在を映し出している魂だと信じら
れるならば、あきらめは受け入れることはできない。

人それぞれ個性、特性そして創造性がある。
みんな違うのであり、それぞれ現すことのできる創造能力がある。

真の自分の叫びを自分自ら聞くことができれば、すべてを感知できる力や意識が呼び起こされる
方向に進むだろう。