No.5  意識レベル (3) 

願望実現の次に選んだのは、無意識を研究したユングの本である。

いきなり学問的分野に飛んでしまったが、私にとって願望実現の本と同様に、無意識を研究した第一人者の意識とその内容がどのようなものであるかを知ることは、潜在意識に対する一般
的な考えや概念などを幅広く知る上で必要な事だった。

私は、ユングやフロイトが無意識の構造を研究分析し、それを明らかにして精神医学に役立てた事は知っていたが、まだ一度もこの二人の本は読んだ事はなかった。

ユングは、心理や無意識そして精神病に関する論文を多く出しているが、とりあえず私はユングの全体的な意識を知るために「ユング自伝」(1)と(2)の二冊を読んでみた。

本を読み進んでいくうちに私が感じ始めたのは、ユングの文が本人のこだわりか学者という地
位からか、美的にそして文芸的な感じにしようとする意識だった。

無意識に関するユングの本は、それ自体理解することが難しいのであるから、このようなユングの文体から無意識を理解するには、非常に時間がかかるものだ。

私は、前回と同じように、本は読むというより字面を追っているだけで、内容はともかくユングの意識レベルをある程度分かればと思っていた。

読み終わってから気付いた事は、私とは個性や特性が違うので夢の内容も異なるが、それでも
同時性に関する夢なども含め、無意識的に関して違和感はなかった。

それより私がこの自伝で驚いたのは、ユングの意識が一番表現されている、自伝Ⅱの巻末に載っている「死者への七つの語らい」である。

私は、この文を最初の40行位読んだところで、ユングの意識レベルが分かったのである。

この内容は意識で認めるものであるが、あえて言葉で表現すると、「無意識状によるこの世界の限界の知覚」、「三次元と四次元の境界」、「霊界への入り口」、「実在の無意識的知覚を意識していること」を語っている。

これは、無意識状の潜在意識の場から、さらにその状の意識を変化させて入っていく世界を表現しているのである。

ユングがこの内容を公開することをためらったとあるが、ユングは自分の見た夢を分析、解説して精神病などに役立てていたのだが、この内容はそれが出来ないのである。

説明できもしない、また誰も理解できもしないものを学者として出す事は、ユング自身の中で不安と葛藤があったと考えられる。

それでも、公開を許したのは、無意識状からさらにひろがる世界があることを、たくさんの人に知ってほしかったのだろう。


次にフロイトについて簡単に付け加えると、フロイトはユングより20才近く先輩である。

ユングは精神医学を目指した頃から、フロイトを尊敬し共に精神医学の向上を目指していたが 、結局決別してしまった。

ユングは、無意識からさらに深奥の真理を探求していたが、フロイトは無意識状で見る夢は性
的欲求の表れということでユングとは逆な方向を見ていた。

結論として、フロイトの性的欲求を基準とした夢判断では、現代のような性的に解放された時代とは同一観点で考えることはできないだろうと考えた。

このような理由で私は、潜在意識に関して、フロイトの本には興味が持てなかった。

私は、今回数冊だったが、潜在意識に関係する本を読んだ事でよく分かった事は、「潜在意識に対する基本的な説明が足りない」という事である。

その結果、ほとんどの人は、潜在意識が自分とは別な何かを願う時の対象ぐらいにしか思っていないのではないか。

潜在意識にある期間願えば答えがでる、「占いより実現する確立が高そうだ」、「簡単にできだめでもともと」、「早く潜在力が引き出せるかもしれない」、「潜在意識は何でも出来る」、
「少ない努力で実現可能」、などその他にも大きな勘違いがまかり通っている。

もちろん、真剣に取り組んでいる人もいるだろう。

私は、多くの人が潜在意識を理解することは、何かを信仰するより重要だと思っている。

自分自身であり、潜在力を通して我々に良いものを顕現させる潜在意識の理解は、自分の幸・不幸を左右する大事な要因であるから、これこそ第一におくべきで、他の信仰は二の次である。


私自身は、自分の意識を独特な生命と見、またそのように意識化しようとしている。

私は、人間の生命は二つあると確信している。

一つは、「肉体を生かしている生命」である。
もう一つは、「意識として現われている無意識なる生命」である。

我々の見る夢は、普通は取り留めのない漠然としたものが多いが、私が体験してきたのは、明らかにそれとは全く違う。

これは、不思議体験のページを見てもらえれば、少しは理解してもらえると思うが、臨死体験
の場合でも同じ事が言えるだろう。

人間は、生命そのものである意識に、どんどん近づかなければならないのである。
ただ今まで、それに対してあまり説明されていないため、重要視して来なかっただけである。

潜在意識は、どんなに知識を集めてもそれ自体を説明できるものではない。
潜在意識を知らない人は、潜在意識を知った人の意識は分からない。

我々が、潜在意識をはるかに超えたイエスやシャカの意識が分かることはない。
しかし、逆の立場では、全てお見通しである。

人間の人生は、願望実現のための一生である。
それは同時に、潜在意識とピッタリ寄り添って生きていく事である。

潜在意識の自覚は、生きている事自体が訓練となる。
そのためには、心や意識も大きく広げて、拡大しておかなければならない。

なぜなら潜在力は、細く窮屈で、霞んでいるような心には無理に入って来ないからである。

天気のいい日に、あらためて太陽を感じるといい。
その明るさ、日差しからくるエネルギーを意識で受け止め同調する。

夜の広大な星空は、自分の意識が遊ぶ庭だと思えばいい。
とにかく、自分の内にそして宇宙の果てに、自分の心を中心にどんどん拡大し延長させるように意識することだ。

自分の小さくまとまろうとする心を、広い空間に開放させてやることだ。

我々は、肉体という小さな世界だけに住んでいるのではない。
我々はこの肉体で物質的に生きているが、何も意識のすべてまでこの肉体に押し込めることはないのである。

これもひとつの、潜在意識を知る訓練である。