No.22  意 識 の 力 

私は今まで人間と霊と意識について探究してきたが、その中でも我々がなかなか気づきにくい意識の力
について大雑把だが述べてみたい。

まず最初に、本当は誰もが身に付けたいと思っている超能力とか超意識についてである。
この世でこのような能力を発揮しようと思えば、一心に強く集中して行なう「念」がある。

意識の力としては、「念」は一番物的な状態で働く方法なのかもしれない。
奇跡的なことでは、その人の無意識的に働く霊的意識の力の顕現の結果なのだろう。

奇蹟的なことがどうして起こるかは誰も解らないし、そのパワーも感じることは出来ない。
人間の潜在能力としていろいろな見えない力を探し求めていた人の数は、この数十年だけでも相当なも
のだろう。

結果的にも、そのような力を得たという人は聞いたことが無い。
ほとんどそのような力を得られないということはうすうす解っていると思うのだが、それでも相変わら
ずその手の誘いに引っかかる人は多いのである。

潜在能力に関することは、すべて潜在意識に関係があるのである。
まず、意識とは何かを知ることである。 

意識は智恵である。
余程の精神的障害が無い限り、ほとんどの人は自分自身を意識出来ているはずである。

自分が意識出来ていることが大基本で、次は正しい意識を見つめることである。
正しい意識というのは、霊的法則に合った意識ということで、この世的、人間的、善悪的なことを根本
においているのではない。

また、精神世界が宗教が科学がどうのこうのということでもない。
霊的法則という以上、絶対的なものは霊界(4次元)であるが、その枠的基盤となっているものの写し
によって、物質界では物的質量の肉付けでこの3次元界や各形態が創られている。

その4次元と3次元をつなぐもの、またその媒介となるものが意識でなくて何があるのだろうか。
他のもので、その間を行き来出来るものがあるのだろうか。

そのような何かがあることはいまだ聞いたこともないし、これまでの自分自身の不思議体験のすべても
内的意識によるものだった。

私はこの勉強を始めた頃から、この意識の方向に焦点を当てていた。
当然、意識に入っていく勉強は大変時間がかかるものだと、最初から覚悟して勉強してきたのである。

この25年間に自分の意識で触れた未知なるものは、出来たかどうか、知り尽くしたかどうかは別とし
て、種類、量とも相当なものである。

すべて自分の意識の延長、投射的、この世の時間外のことなどで、結構楽しいこともあったが反対に何
度も大きな壁にも当たった。

しかし、私自身が何度も壁に当たったり躓いたりしてきたことは、他の人の躓き度合いも理解出来るの
で、その点意識とは何かということを深く理解できたことは大きかった。

意識については、人にそのまま教えることも伝えることも出来ないというのが歯がゆいところである。
今はたくさんの人に出来る限り解りやすくいろいろな例を取り上げてその感じに近づけるように話をし
ているが、それでもかなり大変なことである。


意識、それは智恵であり、力である。
何も超能力的なことだけを指すのではなく、智恵である意識は、生きることにおいても、さらに上を目
指す自己向上においても、絶対的確信となるものである。

それは、決して他のどんなものに負けることはなく、それは肉体的力ではなく信じる力として、自分が
何かに負けるということなどは全く考えられないことなのである。

その力という感じの背後を覆って支えているのは、智恵である。
その人の智恵としての気づきの量が悟りとなり、そのたくさんの悟りが大きな智恵となる。

悟りとは種類、程度、深さで分けられる智恵の量でもある。
広大な意識の枠の中に、その人の存在意識は位置付けられる。

位置づけられる意識は、一つの意識としての塊であり、霊的に見ればそれは意識の物的塊である。
心の塊は、潜在的意識に比べるともっと矮小となる。

人間の意識は無限永遠というより、霊的に永遠といった方がまだ解りやすい。
それが魂意識であり、いつかの未来の自分である。

その未来の姿は宇宙誕生の過去にあった自分の意識でもある。
智恵はもともと我々の霊的意識とつながって存在し、いつかの蘇りを待っているだけである。
私の人生での大目的は、何とかこの証明をすることだけにある。

これについては、私は今生において出来ると信じているし、またそのことには何も疑うものもない。
人がどんなに超能力的な意識を欲しいと思っても、それは自分に来る前に自分の意識をそれに合うよう
に訓練しておかなければならないのである。

ほとんどの人は、この努力訓練を無視して、早く自分に都合のいいものを欲しがるのである。
そのような簡単な方法は無いのであり、たとえそのようなものを持っている人がいて教えてもらうこと
が出来たとしても、自分の意識がついて行かなければ、それはただの絵に描いた餅ということになって
しまう。

意識の力を発揮するということは、それを通す智恵という回路を創ることなのだから、その真の法則を
知らない人がいろいろなテクニックでどうにかしようとしても、私にとってはそれこそ真剣に雲を掴む
ようなしぐさにしか見えないということである。

精神世界系では、そのようなことを出せばすぐに人が集まるし、スピリチュアルビジネスなら一発勝負
という感じのものもあり、それを知らない人は結局いいお客さんになるだけである。


意識の智恵をつけるには、基本的には先ずこの世の意識から始まり霊性を知るまで自分を高めることが
必要である。

人は知らないから苦しむ、知らないから迷うのである。
まだ来ない、まだ知らない未来を知ることは誰も出来ないが、それでも自分が納得できる判断をしなけ
ればならない。

すべてが簡単に出来ることだけを求めることがどうにかしているのであって、本当はこのようなことに
は時間がかかるし、それなりの勉強も当然必要なのである。

この点をしっかり知っていることが、自分の未来をしっかり確立出来る人である。
何回も言っているが「誰が自分を変えてくれる、簡単に出来る」、意識の理解でそんなものがあるか、
と言いたい。

向上を目指す最初のうちは、奇麗事は意識の中にはないのである。
何故なら、克服すべきことはネガティブだからである。

スピリチュアルカウンセリングじゃあるまいし、ネガティブ相手に訳のわからない何かからその気にさ
せる浮ついた言葉など、そんな奇麗事はないのである。

意識の智恵を知る一番の勉強が、ポジティブネガティブの理解である。
この世は霊的意識の中でも最下位の意識である。

その意識が3次元界である。
その3次元界は相対性で成り立っているのであるから、まずその相対性がどういうことであるかを知ら
なければ真の意識とは何かを知ることは出来ない。

相対性を、私はポジティブネガティブとして説明している。
この相対意識のどちらを自分の目指す意識にするかは、誰でも普通ならすぐ答えられるであろう。

ネガティブ意識を自分の求める意識にしたいと言う人は、よほど悪でないかぎりいないだろう。
ポジティブ意識、それを高めて行けば霊的意識の方向である。

霊的意識と聞いて、すぐ宗教と結びつける人は低級固定観念にまだ支配されている人である。
また、宗教と聞いて何の根拠も無くバカにしたり、下に見る人は、まだ何も知らない未熟な人と私はと
っている。

それ以上に、霊(高級な)や神、輪廻転生について、解らないという人は別だが、もし否定するならば
私はその人をまったく無視するだろう。

そのような人とそれについて話をするのは、時間の浪費以外何もない。
「信じる力」のない、霊性のない人はどうにも出来ないのである。


意識を知るために最初にやっていく勉強は、自分自身を知ることから始まる。
何故、自分自身を知ることからなのだろうか。

少なくても人間は、その人自身にはネガティブがいっぱい意識にこびりついているからである。
自分自身を知ろうとすることは、イヤでも自分の意識のネガティブと対面することである。

ネガティブはこの3次元の相対としての基本的意識のひとつである。
だから、ネガティブの完全理解はポジティブの完全理解へとつながるのである。

では、逆はダメなのか、
ポジティブだけを見つめて、ポジティブの完全に近づいてネガティブを潰すという方法である。

この方が簡単だと思う人は、それでもいいと思うが、どちらがやりやすいかはやってみればわかるだろ
う。

人間のほとんどは、どっぷりネガティブに浸かっているのである。
過去世において、これまでおそらく一度も最高のポジティブ意識を感じたことはないはずである。

今生きている人が、一度でいいから最高のポジティブ意識を体験できれば、霊的意識に対する考え方も
一変するだろうと思うのだが、これだけは自分の努力でそこまで到達しなければならないのである。

これも霊的法則で、その人だけが解る証拠である。
そのような意識がある人は、過去世で何らかの信仰とか信じる力で、向上する意識を培っていた人であ
る。

意識は神との回路である以上、偶然はないのである。
偶然は混乱という不秩序、法則外の無法地帯から出るものと考えていい。

法則外の偶然がどうして霊的法則を満たすことがあるだろうか。
とにかく意識は法則であるから、論理的推測も役立つということもわかってくるだろう。

この世のあいまいなものから自分を離し、しっかり自分を見つめていくことはいずれ自分自身を助ける
力となる。

やることは一つ、順序も一つ、自分を良く知ることからである。
要約すれば、意識の力というのは、すでに知っているという意識の智恵を通って働く霊的な力となる。

当然それは見えも感じも、またどんなものであるかも解るはずが無い。
それは、4次元の3次元的枠(回路)を通して働くものだから、そのような力を自分を通して顕現させ
たければ、我々もそのような意識になればいいのである。

このような話は一般的なことではないが、知っていればそれなりに自分を高めるときに役に立つことも
あるだろう。